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生きる意味(つまり、何故それでも生きることを選択するか、ということ)


ここ数週間で、誇張なく幾百もの壁に立ち止まり迷い続け、それなりに多くのかなり進歩的な発見をすることが出来たように思う。心境の変化はいかなる所から生まれたか。

数日間の実感。
周りの人間がようやく鮮明に見えてきた。焦点が合ってきた。この先生き延びるには避けられずそうする必要があったからだろう。絶対的に他者と関わらなくてはならない性命であると思い知らされた。
そうでないと生命を繋げない。冗語ではない。

父親の病気、ひいては死が、よりリアルなイメージを伴ってきた。常に予め覚悟をしていても、一度危機の前に向かわされると、両足で立っているのも耐えられない。同様に祖母もいる、母もいる。彼らがいなくなれば、俺は誰に生命活動を捧げられる?誰から命を受け取ればいい?
同時に、血の繋がった家族に引き代わる唯一の他者を求めていることに気づいた。気づいた、と言えばそれまでは知らなかったかのようだが、そうではなく、今までは家族の愛に閉じ篭り温ぬくと安住していたから目をそらせたのだ。それで素知らぬ振りができた。他者をぞんざいに扱っていた。

同じ時期に、自分から切り離せないものがあることを明白に自覚し始めた。新しい生活は僕に様々なことを教える。時にはそこに自信も添え付けて。
とりわけ、僕は言葉と芸術を再発見する。理性と感性を、僕なりに置き換えた結果なのかも知れない。そこには僕の好きな秩序と情熱が潜んでいた。これらを携えて、どこまで遠く、見えていない遥か宇宙を臨めるだろう。それはもしかしたら、右手人差し指の付け根にある極小さな黒い染みかもしれない。

限界も知った。自己愛は循環的で生産性がない。巡ってきた血液は上手に新陳代謝できず、息苦しく汚れていた。
見えてきた他者は優しくて、僕を見て言葉をかけてくれた。そこに愛があったのを確かに感じて、最初は不思議な気になったが、あとからこれが望んだものだったと気づくことになる。鈍い脳みそは相変わらずのよう。
そもそも一人では生きることが出来ないような弱い人間だった。今までが考えてみれば可笑しいくらい矛盾に満ちていた。「この人に零れる愛を注ぐことができたなら!」そう思うことができる。誰に爪先が向かうかはこれから考えよう。ある心境においては鼻で笑ってしまえるような文言でも、それが一つの真実です。

伝えなければならない対象が次々と思い起こされてくる。時間が無い。生きているうちの親を、家族を、幸福にしたい。何としても俺が、彼らのお陰で生きてこられたこと、その感謝を、知ってもらわなきゃいけない。一秒も絶えず愛してきたこと、愛されている事を知っていたことを伝えなければならない。そうでなきゃ笑って見送るなんてことがとても出来なくなりそうだ。もどかしくて涙が出てくる。苦しくも愛おしい。まだ行かないで。時間が無い。
僕と同じ生涯を過ごす人間がいる事を知っている。少なくとも、一定数いると想定(想像)できる。家族の実感が虚しくも僕から消え去ったら、恐らくそれらの為に生きることを選ぶだろう。顔も知らない、存在の感覚さえ受信されない彼らが、それでも明々と僕の奥の脳に神経を振って彷徨を教えてくれるから、彼に光をあげられたら、それで終に一息をつくことが出来る。光……、自分の名ともなっているこれを特別に贔屓して愛している。
僕は救われたいとずっと望んでいた。僕は僕と同じ人間をどうかして、救いたいと望むことにした。それで僕自身が救われず死んでいったとしても、それで僕は救われる。彼の為に生命を続けるというのは、何ら損のない、要するに旨い話となる。僕が助かるために彼らを助ける。しかし何も不純さはない。僕が助かるというのは即ち、そのまま、純粋に直接的なイコールを以てして、彼らが助かるということを示す。

そうしたら、伝えたいことが見つかった。ついさっきのこと。それは驚くべきことに、間違いなく愛の形をしていた。さらに驚くべきことに、僕はそれを見たことがなかった、とその瞬間気がついた。

当然のこと、自明すぎて見えていないかもしれないが、人間は愛の為に生きている。生きるべきである。本当は、この事が絶えず見直され、自分の中で、他者との関係の中で、世界全体の中で、繰り返し議論され問われ続けていなくてはならない。寧ろ、それ以外に人が生きる意味は存在しない。
臆せず生きろ。人を愛せ。助けを求めろ。愛を問え。
命令形で語ることに何の差支えもない。躊躇うわけもない。
その正しさに疑いが無い。